中島整骨院 院長中島 務

高校を卒業と同時に
柔道整復師(整骨院)の仕事をしています。

略歴

1986年
甲子園にて開業
1995年
阪神大震災で被害を受けて同じ甲子園8番町に移転
2004年
施術所と自宅を建設し同じく甲子園9番町に移転
2010年
公益法人兵庫県柔道整復師会阪神南会長に6年間就任
2020年
60歳を迎え、実質の引退をして沖縄県に移住
2022年
現在のオーナーに誘われて夙川にて開業
Historyこれまでのストーリー

沖縄県の知り合いたちの希望もあり
沖縄県浦添市にて整骨院を開業しました

沖縄県では、短期間の開業でしたが人間関係が出来たこともあり、

ひと月に数日間の沖縄訪問をして施術をしていました。
しかし、沖縄で開業はしたものの、法律の改正や同業の乱立状態でしたので

経営が上手く行きませんでした。
とっても腕の良い治せる先生達こそ難儀していた次第です。

そんな時に現在のオーナーより施術場所の提供の話があり現在に至ります。

人生、七転び八起とは 
ほんと私の事・・・。

新しい接骨院では、沖縄で学んだ、「ただ、治療するだけではビジネスにならない」という

教訓を生かしてオーナーに大塚先生を紹介してもらいました。
セーフプレーンと言う機械を見た途端、理にかなっていて驚いた次第です。

私は人の病は、運動不足と栄養のアンバランスからと考えていました。
そして、その原因となる人の疲れ物質は、下腿三頭筋に集まります。
それをケアするのにセーフプレーンは最高の運動器ということがすぐに理解出来ました。

私が数十年来思っていたことですが、なかなか実現出来なかった機械の開発を、

とっても単純な仕組みではありますが、既に運動器として完成されているという事に

とても驚き大塚先生の考えに共感しました。

それに大塚先生とは、過ごした時代や年齢的にも近いので話が合うことも仲良くなることが出来、

今ではパワープラント運動療法の兵庫県支部を私が任されています。

パワープラント運動療法をなぜ推進するのか?

大塚先生が主にプロゴルファーを専門に施術をされていること。
それと、何よりプロゴルファーの方々にはパワープラント運動療法の認識が既に根付いている

確固たるブランドを気付いているからになります。

それは何よりも、大塚先生がプロゴルファーのツアーなどに同行して、

パワープラント運動療法施術をされているという事が

プロゴルファーの間では有名になっているのです。

セーフプレーンの機械を数台持ち込みながらです。
セーフプレーンの機械は一台250キロほどあります。

その機械を持ってからツアーなどに同行して移動するという事はとっても大変なことなんです。
すなわち、凄い費用が掛かります。
それでもプロゴルファーは大塚先生のケアを受けるのです。
この事例こそ、パワープラント運動療法の効果の凄さを物語っていると思います。

そんなパワープラント運動療法を皆さんにご提供させて頂ければ幸いです。